数学嫌いな子どもたちを生む考え方

最終更新: 10月23日

数学の学びにおじゃま虫となる「3つの迷信」

数学嫌いな子どもたちを生む考え方

歴史を振り返ると、人々の暮らしに有害であった迷信はいろいろあった。日本における数学の学びや教育に関しても、「迷信」として扱いたいものが3つあるので、今回はそれらを紹介したい。

迷信1 算数→中学数学→高校数学へと重要性は増す

世間では、「算数では基本的な計算だけを学んでおけばいい。中学生になると負の数や方程式を学ぶから算数より数学が重要になる。さらに高校生になると微分積分を学ぶからもっと重要になる」と考えている人が多い。

さらに、「算数は、大人ならば誰でも教えられる。中学数学では、図形の証明という特殊なものがあるから『誰でも』とはいかないだろう。高校数学になると微分積分という厄介なものがあるから、深い知識をもった先生でなければ指導できないだろう」とも考えられている。

上記のような人であっても「盲導犬や警察犬を見てもそうだが、子犬からしっかり育てることが大切」「いろいろな建築物を調査するとき、実は見えない部分の杭などの基礎工事が大切」などは、よく理解されている。それが、算数から数学という流れを見るとき、誤った考え方をもってしまうのが残念でならない。

算数ではまず、1つずつ数えていくことから学ぶ。単に「イチ、二、サン、シ……」と暗唱することではない。数は抽象的で、同じ「3」でも3人や3匹という離散的なものから始まって、3mや3gという物理量に至るまで学ぶ。抽象性を鑑みることなく1から100までを、わが子に早いうちから暗唱だけさせればよいと勘違いしている親御さんが多いことには、閉口させられる。

算数で「%」を理解せずに「やり方」優先の「く(比べられる量)・も(もとにする量)・わ(割合)」で学んだ結果として、大学生になって「%」の問題でつまずいてしまう状況を憂慮している。

算数で「平均」の意味を学ぶとき、「全体をならす」という考え方にも触れておかないと、大人になって「平均成長率」や「平均速度」などの問題に直面すると、落とし穴にはまってしまうことを注意しているのだ。

一方、TIMSS(国際数学・理科教育調査)などからも、日本の子どもたちの「数学嫌い」は際立って多く、子どもたちに面白い応用例を工夫して提示すべきである。例えば、340×6=2040という掛け算を応用問題とする場合、「花子さんはお母さんから、340円の弁当を6個買ってくるように言われました。いくらもっていけばよいでしょうか」という感じで、花子と太郎ばかりが登場する味気ない問題が多い。

同じ式でも、「音は1秒間に約340mで進み、光は1秒間に約30万km進みます。花火大会で、ピカッと光ってからドーンという音を聞くまで6秒かかりました。花火までの距離はおよそ何mでしょうか」という問題ならばワクワク感が高まるだろう。

小学校の教育現場では、教員から算数に対して負のイメージを植えつけるかのような呆れた発言も飛び出すことがある。この迷信がはびこっていることが根本にある。

算数より数学が重要だという迷信

一方で文部科学省は、「中学校や高校の数学教員免許状をもっている者は、小学校の教員免許状をもっていなくても算数を指導できる」ように弾力化を進めてきた。この政策は支持するが、算数よりも数学が重要だという迷信を過去のものにして算数教育を重視する世論を高めない限り、いくら「AI時代には数学が重要」と経済産業省ほかが宣伝しても、効果は限定的になるのではないだろうか。

7月10日に『AI時代を切りひらく算数~「理解」と「応用」を大切にする6年間の学び』という保護者や教員向けの教育書を出版する予定だが、「数学教育全般にとって算数がとくに重要」という考え方を示す意図がある。

迷信2 数学は答えを当てる教科である

1979年から始まった「共通一次試験」以降、大学入試ではマークシート式試験が広く採用されるようになった。採点が瞬時にできる面はあるものの、論述力は身に付かない。マークシートの問題では文字変数に具体的な数字を代入すると答えがバレやすくなることもある。

優秀な生徒からは、「解法を強制する」ことに対して違和感がある。裏技を使って正解を見つけた場合、記述試験ならば0点であるもののマークシート試験では満点になる……などの問題点がある。

2020年度から始まる「大学入学共通テスト」から国語と数学で一部記述問題が導入されることになったように、マークシート試験は徐々に見直される運びとなってきた。しかしながら、多くの生徒に浸透してしまった答えを“当てる”意識を、答えを“導く”意識に直すことは簡単ではない。

昔と比べて大きな変化を感じるのは、文字変数に具体的な数字を代入して答えを当てるマークシート式問題の裏技を、一般論を論じる記述式の数学答案に書いてしまうケースがしばしば見受けられるようになったことである。受験生は、このような奇妙な答案に点数は与えられないことがわかっていないようだ。

プロセスが間違っていても答えが合っていればよいのか

それどころか最近、昔の教え子で教員などの仕事に従事している者から信じられない報告を受けるようになった。それは、プロセスが完全に間違っているものの偶然に最後の答えだけ合っている答案に対して、「答えが合っているからマルでもいいのではないか」という“苦情”が寄せられることである。

おそらく、このような現象の背景には、社会全体で「プロセスはいい加減でも結果がすべて」という困った発想が広まったこともあるだろう。しかし、数学は答えを当てる教科だという迷信を過去のものにしない限り、奇妙な答案はなくならないと考える。

迷信3 記号と数式があるから数学は難しい

筆者は外国語が苦手であり、中国語・ドイツ語・ロシア語などは学んだことがない。しかし、それらの言語で書かれた数学の論文は辞書を用いながら読んだことはある。それが可能である理由は、記号と数式があったからである。ところが日本では、なぜか”記号と数式があるから数学は難しい”と信じて疑わない人たちが多数である。その原因は、大きく分けて2つあると考える。

1つは、恥ずかしがって質問しないことである。車の助手席に乗っている人が、もしわからない道路標識を見て気になったらどうするだろうか。恐らく、運転者にその意味を尋ねるだろう。数学の記号も同じで、意味のわからない記号を見たら遠慮なく質問すればよいのである。それだけのことであるが、なぜか日本の学校では「その記号や数式の意味がわかりません」と堂々と先生に質問できない雰囲気がある。この雰囲気は打破しなくてはならないものであり、さまざまな立場から努力していく所存である。

もう1つは、記号や数式を多用する数学の書物の執筆者が、記号や数式の定義を省く傾向があることである。

最近、卒業生から手紙をもらい、「経済関係の本の前書きに、使用する数学は文系進学程度の高校数学であると書いてあります。しかし、本論の部分にある……や……は何でしょうか」という質問であった。それを見ると、偏微分や行列式が説明もなく書かれていた。

実は、似たような話はたまにある。記号や数式を扱う1人として、それらの意味はなるべく丁寧に書いていくことをともに心がけたい気持ちをもつ。

記号とは、見やすく誤解を与えない「言葉」である。また数式は、誤解を与えない厳格な「文章」である。このメリットを活かして、日本の数学文化を高めていきたいものである。

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